結局抜け出せないレガシー世界のジレンマ

「これを読めばすべてわかるっていうブログはないんか?」:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 - CNET Japan

結局のところ出版社は雑誌の記事のマイクロコンテンツ化はまったく考えていないのだろうということである。いまやネットではブログに代表されるようにさまざまなコンテンツはXMLによって構造化され、マイクロコンテンツとなっている。各コンテンツにはURIがあり、そのコンテンツのひとつひとつに対してRSSフィード化したり、ソーシャルブックマークトラックバックなどが可能になっている。Web2.0的世界の中でそのコンテンツの影響を波紋のように広げ、マスメディア化していこうとすれば、マイクロコンテンツ化していくしかない。

 だがマガボンでは、雑誌ごとのURIはあるが、ページごと、あるいは記事ごとのURIはまったく用意されていない。つまりはマイクロコンテンツ化されていないわけで、たとえば誰かがこのマガボン上でちょい読みして面白い記事を見つけたとしても、その感想をはてなでブックマークすることはできないというわけだ。

マイクロコンテンツ化というのが正しい"今どき"なコンテンツビジネスか?どうかは、現状では判らない(半年前なら正しいと言い切ったけど)
だが、レガシーなコンテンツ集約型メディア(なろうとした既得権所有者たち)が生き残るすべはほとんど残っていないわけで、すると極限まで0円化したマイクロコンテンツの蓄積を支える既存の情報ソース母体を食い尽くした末路は目に見えているわけでね。
要するに誰かがお金を払わないと情報は生まれないし、誰も払いたくない状況が当たり前となった今では情報は生まれるずべが無い。
逆に情報がタダで生まれる理由は、一定の思惑のあるソースかもしれないという怖さから逃れられない。もっとも、既存メディアの体たらくにはほとほとあきれてもいるので、信じるに値するか疑問もあるよね。