ニュースは金になるけど、ビジネスにならないかも

切込隊長BLOG(ブログ) Lead‐off man's: 「新聞が信じられない座談会」で

国民が情報を得るために支払う資金の総量に比べて、情報を提供する業者が多すぎるというオーバープレイヤー状態というのは本来指摘されるべきだと思う。だって、良く分からない都道府県を規制エリアにしてテレビ局は各県で抱えなければならないなんていう非効率はありえないだろう。新聞だって、同じような通信社の記事を、やはり同じように報じなおすパッケージと考えれば、大手新聞なんて何社も要らんよね。雑誌社も然り。ただ、情報自体のニーズはある、だから新聞社や通信社がネットでタダ同然で記事をばら撒くというのは、本来ナンセンスなんだけど、先に資本を集めたネットメディアが安値でこれらの情報を買い叩いて信頼性の高い情報を貧乏人に読ませて広告で収益を得ている状況というのは何気にヤバい。

いやさ、結局のところニュースソースとしての新聞であったりテレビであったりというものは相当にヤバいといわれているのだけど。
それが本当にヤバいというのはちょっと懐疑的なわけで。
過去に「楽しくなければテレビじゃない」とかいっていたキー局なんてのは、低俗であったけれども視聴率を稼ぐ=儲かるの構図を体現してたのだけど、情報量としてのメディア価値はどのくらいだったか?は疑問であった。それがネットの時代でテレビが廃れたというのは少々論点がおかしくてね、元々の土俵が違うのだから比べることは無理だ。
そんななかで元々の情報価値の低いメディアは、情報価値=儲かるの図式を放棄していたわけだから、それがヤバいのはネットの責任ではなく娯楽さえも見いだせないことに問題があろう。
またネットによって情報が細分化された弊害で真実と虚実の境界線が見えにくくなっている状況では、メディアが選別した"事実"が万人の信じたい"真実"とは乖離しているのだから、今更に情報を追い求める必要があるのだろうかね。
それほどまでに"真実"を見つける覚悟があるメディアならば、いつまででも残るのだろう。