コンテンツ解放戦線異常だらけ

コンテンツ制作者は是非ともクーデターを - 雑種路線でいこう

コンテンツ制作者が何故怒らないか?かねてより疑問に思っていたのだけど、なんとなく構造がみえてきた。
プロとアマチュアの違いって不明確な部分があると思うのだけど、基本的にお金を稼ぐかどうかによると考えてよいと思う。
こんなので金を取るのか!とかこんなので金がもらえちゃった!とかあるけれど、コンテンツ制作者として金を稼ぐという点で考えれば、コンテンツ保護は急務となるだろう。
しかし構造的におかしいのは、コンテンツ保護を求めるのがコンテンツ制作者ではなくコンテンツ権利関係者というかコンテンツ既得権所有者というか、どうにも当事者ではないという点だ。極論を言ってしまえばコンテンツ所有者が没してしまえば、コンテンツが生む利益を受け取る者はいなくなる。もちろん権利だから相続されるべきだし、経済活動だからコンテンツ権利を奪えないことは当然だが、苦労して生み出した制作者不在の争いが往々にして生まれる。つまりコンテンツとは制作者と権利者が乖離しやすく不明瞭になりやすいものらしい。そうでなくても無数のコンテンツ制作者=権利者がいるにもかかわらず、権利者のみの論争で権利保護を訴えるのだから醜くみえてしまうのだ。

言い古されたことだがコンテンツ保護の強化で喜ぶのはクリエイターではなく、ブローカーやロビイストといった補助金ゴロどもだ。彼らは守りに入っているから、広くコンテンツが流通し、新たなコンテンツが生まれることよりも、自分たちが既に所有するコンテンツを少しでもマネタイズすることを重視して権利保護強化を主張する。
コンテンツに相応の対価なんてものはない。自分で値段を決めて、売り方を考えるんだ。売らないことだって選べるし、市場で決まった価格でやりくりして、誰に何をどう売るかを考えるところから、創造は始まっているのである。いつか世に出たいクリエイターなんて山ほどいる。過去しか見ないで仕事する連中が去ってくれれば、その分のカネや機会が裾野にまわるかも知れない。
なるほど。
かねてより思うことは、創作とは排泄に他ならないということで、プロは排泄物を売る能力を持つ者である。
膨大な情報や知識を喰らい見事に消化吸収をしてみせて、そのうえで黄金を排泄する(汚い表現だな)
それは空気を吸うように継続するものだ。生きているかぎり。
所詮その程度のことに権利とか保護とか言う権利者とはいかなる存在か。
その構造が続くことは避けられないかもしれないけれど、どこかで脱却すべきときがきたかもしれない。