報道という暴力
J-CASTニュース : 秋葉原事件の被害者撮影 モラル論議が巻き起こる
やはり、そういう切り口で来たかと。
被害者をケータイで撮りまくるアキバ系のイヤな感じ。こんな刺激的な見出しをつけたのが、週刊文春6月19日号。記事では、「すぐメールで送る」と興奮して携帯で被害者を撮ったり、駅前の歩道橋上や交差点で携帯をかざしたりする若者たちに言及した。そして、「非常にイヤな感じ」とぼやく現場の記者の声を伝えている。
ライブドアでは、世論調査サイトで、事件現場の撮影がモラルに反すると思うかどうかのアンケートをした。その結果、「思う」が66.89%で、「思わない」が33.1%だった。面白半分の撮影には否定的な一方、撮影の社会的意義も認めざるをえないとの声のようだ。
事件もあるべきことではない。
事件を撮ることもモラルの面で言えばあるべきことではない。
いかに伝えることが大切かもしれないが、超えるべき一線は守らなければいけない。
いわば「伝える側の責任」とは「伝えなければいけない」という責任ではなく「伝えることで生じることへの責任」であるわけで、「伝える側の覚悟」がもっとも重要な点なのだ。
しかし携帯などを使った情報に「伝える側の覚悟」があるのか?
ゆえに、伝えるモラルに怯えなければいけないのだ・・・が。
それにしても。
「伝える覚悟」のない個人から拝借した携帯動画を、さも恥ずかしげも無く放送するNHKとはいかがなものか?
そこをNHKは自らの立場から考えるべいだと思うよ。