ネットはリアルの延長線からは出ない

図解「ネットとリアルの関係」とmixiの影響 :Heartlogic

あらためてまとめていただくと、とても参考になる。

ネット黎明期には「自分のまわりの人とモニターの先の人は同じではない」と思っていた。
もっとも実際のところは、リアルな隣人の延長線上から派生する人からの広がりの方が多いのだけど。

それがネット発展期には「モニターの向こうの人がいっぱい」状態になり、知らない人とのやりとりが俄然多くなってくる。
これによりリアル隣人とのつながりがネット上では希薄になりつつあることだろう(ビジネス上では逆だけど)
これは現在も続くと思うし、ますますネットを介した「誰か知らない人とのつながり」のウェイトは高まるだろう。
そこには大きくgoogle的な情報溜まりとブログ的なコミュニケーション吸着サービスの普及が影響している。
つまり情報の平等化というか、情報の融合・・・ではなくて融解化かなぁ。情報の集約密度が均質化しているというか。

さて、そこでmixiだけど。
ネットの「モニターの先の知らない人」とのつながりと、リアル隣人とのつながりがニア・イコールになることには少々違和感を感じる。
というか、今までもネットを介した隣人とのつながりはメール(主に携帯)が担ってきており、メール無しのコミュニケーションがすでに困難になった状況において、mixiはメールの代替手段といえばどうだろう?
メールを送る代わりにmixiで会おう、mixiならさらに友達が増えるよ・・・合コンみたい。

mixi視点でネットを見るとリアルの延長線のその先を押し広げてくれた功績を感じる。
ただ合コン的な希薄さは、モニターの先の人とのつながりもリアル隣人とのつながりを生み出すものでも無い。
あくまでもmixiは「好きなこと」のパーソナリティの先の話であり、「好きでない」強制的なこともあるリアルな人間関係との先でもないからだ。
「ネットでまで会いたくないや」

それに対してgoogle的情報溜まりは情報からコミュニケーションという殻をはがして、勝手に分解・整頓してくれる功績(功罪?)がある。
リアル隣人の介する場所は存在しない(名前を検索することはあるけどねぇ)

するとmixi的なネット世界ともうひとつの世界が、融合する可能性はありや?なしや?
違和感はここにあるのかもね。