ネット社会で世代混乱

らばQ : 情報格差──これから始まろうとしている本当の格差社会

どうにも格差社会という言葉は嫌いである。
格差社会と唱える者は、はたして一律な平等社会というものがこの世に存在していたかのように言い始める。少なくとも日本ではすべからく平等な社会だったのは、少々おめでたい人たちかその頭の中だけ(の理想)のような気がするのでね。
さて、実は格差社会が情報を得るもの、得られないものによって広がるのでは?という問いなわけだけど、大筋の見解には同意である。
羽生の高速道路の話は以前どこかで読んで、とても納得した覚えがある。
人が図書館に入り浸っても、得られる情報は只の運まかせにすぎない。百科事典であっても欲しい情報を的確に入手することは保証できないし、一方通行の視点からしか物事が見えないかもしれない。またすべて読み込むにはどのくらいの時間がかかるものやら。
ネットの凄さは、上から目線の2次元レーダーがいきなり3次元レーダーになったかのように、見えなかった視点を感じさせるところだ。
しかも、それがほとんどコストをかけないで、また時間をかけないで使える点から情報密度を強烈に圧縮してくれる。
するとどうだろうか?将来にむけて情報格差が起きるのでは?という論点には一理あるのだけれど、有史以来はじめて情報入手の意味での平等社会が生まれつつあるのでは?という気もする。
実はネットの情報はすでに使い古された情報では?という悲観的な見方もある。
しかしこれからは情報入手だけでなく、情報提供の速度が格段にあがる手法が生まれれば?情報平等時代が到来すると思うのだが。
あとはどうやって情報をおいしく喰らうか?そこが問題だな。