新聞をとる理由は

NAKAHARA-LAB.NET 東京大学 中原淳研究室 : 「大人の学び」を科学する: うちは、もう新聞をとるの、やめたよ!?

結局のところ新聞が毎日届く。
それ以外に新聞を購読する意味はない。

かつて新聞は優れたニュースソースであった。
口伝いでは真実は保てない。ラジオやテレビでは受取手の思考スピードを合わせなくてはいけない。
新聞は文字という個々人の思考力や使い方に合わせた優れた伝達方法を備えたソースだ。
人は情報を受け取ることで社会に参加できる。昨日の出来事も知らなければ、正しく考えることもできない。

電波に乗るニュースは飲み水のように体を通り過ぎる。
新聞の活字は血肉を作る栄養ある情報であり、繰り返し噛み締めて飲み込むもの。
だから社会に出た大人は新聞を読むべきだ・・・ちょっと前までは。

すでに10年以上は新聞を買っていない。
でも困らない。
テレビやラジオ、ネットやメール等の情報ソースに対して新聞情報に見いだせる価値はなんだ?
毎日ポストに入り、次の日にはうずたかく積まれた山の上にのせられる紙の束。
この山に染み込んだインクの意味するものは、今の自分の頭に刻まれているのだ・・・って自己満足できるなら良いのだけど。
読み切れずに捨てる紙束なら、最初からなければ良い。欲しい情報だけ選んで買えることが理想だ。

新聞を買う理由は情報のスピードではなく、遅くともマイペースで再思考できるソースを手に入れることだけだ。
ゆえに新聞が毎日届くシステムが人を社会に参加させる仕掛けになる、その目的だけである。
だがそれはネットが実現しつつある仕掛けだ(まだ十分ではないけれど)
もし新聞がネットとは違う本当の価値に気づかなければ、やはり新聞は消え去るものかもしれない。

そうするとどうだろう。
新聞は最初からバインダーごと売ってみては?
某出版社のように年間通して集めるとコレクションになるとか。
何十年分のバインダーが並ぶ光景は、案外と自己満足できるものかも。