♪誰が殺したマイクロソフト

Microsoft is Dead: The Cliffs Notes/マイクロソフトは死んだ:解説(日本語訳)

たぶん(一部で?)話題になるであろうPaul Grahamのエッセイより。
前日のMicrosoft is Dead/マイクロソフトは死んだ(日本語訳)より面白い。
前日は少々「釣り」のような言い回しだったのでどうにも真面目に取りにくかったが、次の日の解説に真意があったと思う。

「ソフトウェアビジネスの最先端にいる人たちは、もはやマイクロソフトについて考える必要がない」

これはすでにWeb系の人間にとって、数年前から心に引っ掛かったしこりを解きほぐす言葉だ。
MSのOSを使い、MSの表計算ソフトを使ってMSのワープロソフトで報告をまとめる。プレゼンはMSのソフトでないと誰も見てくれない。
MSのブラウザが標準なだけで、どれほど困ったクリエイターがいるか。
ネットが(元々は・・・なんて言わないけど)無数の自由なユーザーにより形成されているにもかかわらず、MSの木柵に囲われた状況では、なぜ低い柵なのに多くが飼育された羊のようなのか。
けっしてMSが商売上手とも思えないのだけど(ある点では天才的かな?)パソコンを動かすガソリンであったOSを押え込んだラッキーが長らく続きすぎた感がある。しかし大排気量の高出力エンジンが今ではそれほど有り難くないがごとく、巨大なメモリを積まないと巡航速度に達しない巨象OSが果たして爆発的に売れるものか?エコな快適さを感じさせる軽負担なネット技術とどこまで戦える?
高価なCPUと高価なメモリをバンバン買い替えることができる所得層は、世界中で何%程度いるものやら。
業界を席巻したMSの顧客は絞られてしまった。

この解説の肝は、ちょうど以下の文であろう。

「重要でなくなったポップスターが突然貧乏になるわけでないのと同じ」

そう、同じなのである。
マイクロソフトは永遠に不滅なのである。
それが良いことか?どうか・・・。
ひどくイヤミな意味に感じる。