ペンは剣より・・・ネットはペンより?

毎日新聞連載「ネット君臨」で考える取材の可視化問題

とても興味深い。
ネットの言動は無責任と思われがちだが、少々違うと思う。
ネットの言動は、それに伴う収益なり軋轢なりが欠如するために、自分の思考に忠実な言動が行える。それゆえに息をするがごとく言動を発することができ、そのときの間違いもそのまま発してしまうことで、「責任を負うことができない」ことがおこりえるだけだ。つまり、その瞬間の言動は間違えているかもしれないけど、そのときの本心であること。またその言動が時間とともに変質する危険性と、また訂正される余地がないために言葉の暴力につながりやすいという欠点を持っているということだ。
この記事にある出来事は、一時話題になっていたことの後日談として非常に注目される。
マスコミ自身は信じる正義に忠実だったといえる。それはほめているわけではなく、マスコミのフィルタに忠実な正義ということで、世論に忠実な正義とはいわない。マスコミが世論を動かした時代を懐かしんでいるあいだは、世論に動かされるマスコミは生まれない。
ペンの暴力より強いものは言論であることが、本来あるべき姿であったことを再度考えさせるべき出来事と考えたい。